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フリーランスになった男性SEの子育て日記

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育児とは一体何なのだろうか。朝の登園を歩いて考えたこと。

いつもは自転車でさーっと連れて保育園に登園するんだけど、最近歩き始めたこともあり、今日は仕事も半分休みにして、のんびり歩いて行ってみることにした。

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娘は1歳7ヶ月

 

俗に言うイヤイヤ期真っ只中で、自我の芽生えとも言うらしい。

 

自我の芽生えと関係しているかどうかは分からないけれど、目に見えるものに興味を持つことが多い。

 

これは、子ども特有のものなのかな。

 

車やブロック塀、そこら辺の草や鳥(カラス)、すれ違う自転車。

動くものや音が鳴るものは特に目を引くようだけど、大人のぼくには何がそんなに興味を引くのかよく分からない。

 

テクテク歩いて、20〜30m進んでは、立ち止まったり、5m戻ったり。

 

まぁ、中々進まないんだけど、「進ませたい」というのは親の都合で、子どもには関係ない。

…と、言うのをどこかで見た。

 

それは本当にそうだと思う。

 

だからと言って親の都合も重要なので、こんなのんびりした日じゃないと、こういうのも難しい。

 

歩いてる最中、ちょっと目線の高さを娘に合わせて見てみると、娘からはこんな風に見えているのかと、ちょっと思ったりもする。

それが何だって訳でもないんだけど。

 

 

 

話は変わって、こんな風に子どもと一緒にいて、育児をするというのは、どういうことなんだろうなぁと、ちょっと考えてみた。

 

いわゆる、ご飯をあげたり、オムツを替えたり、お風呂に入れたり、寝かし付けをしたり、保育園に連れてったり…というのは育児の中でもタスクのカテゴリで、“基本やらなきゃいけないもの”だと思っている。

 

だから、それについてやることに何の疑問もない。

 

そういうのではなく、こういった朝の散歩だったり、どこか公園とか動物園とかに連れていってあげたり・・・

そういうのは娘にとってどういう影響を与えるんだろうと、たまに思う。

 

例えば、今日の朝の登園ついでの散歩なんかは、別にぼくがやらなくたって、保育園でいくらでもしてくれている。

 

先生が書いてくれる連絡帳を読めば、どれだけ娘にとって刺激的なことを毎日してくれているかよく分かる。

 

「保育園でしてくれているから、家庭でやんなくてもいいじゃん」ということが言いたいわけじゃない。

保育園に預けない家庭だってたくさんいるし、これは一般論の話じゃなくて、ぼく自身の話。

 

何でそう思うかと言うと、ぼく自身が親にどこかに連れていってもらったりした記憶がほとんどないから。

 

もちろん、1歳2歳の記憶なんてないから、忘れているだけかもしれない。

 

ただ、5歳以降もほぼ記憶にない。(近所のスーパーとかを毎週ルーチンで回ってたくらい)

 

それが当時嫌だった訳ではないし、親に恵まれなかったとも思ってないけど、何かを教えてもらったこともなければ、一緒に何かをしたことも(多分)ない。

 

それでも、自分はそこそこ育ったと思う。

 

だからこそ、娘には何かしてあげたいと思う反面、それにどんな意味があるのかというのは、結構自分の中で葛藤?したりする。

 

 

それならばと、逆に子ども視点ではなく、親視点でも考えてみた。

 

よく子育てを終えた人は、「子どもが小さい頃には戻れないんだから、今たくさん可愛がっておきなよ。」みたいなことを言ったりするらしい。(リアルではあまり聞いたことないが)

 

子育て真っ只中の当事者から言わせれば、「でも毎日大変なんだよ!」と言いたくもなるけど、それも真理ではあるんだろうな。

 

子どもが産まれてから分かったことがあるように、子どもが手を離れてから分かることもあるんだと。

きっとそうなんだろう。まだ、想像の域を超えれないけど。

 

 

今、子どもといるのは楽しい。

楽しいっていうか有難い。

 

大変だけど、それは確か。

 

娘は忘れるだろうけど、今朝一緒の目線で見たものや、一緒に歩いた事実は自分は忘れずにいたいと思う。

 

この記事は、ただそれだけの備忘録。